バナナフィッシュを見ながら思ったことは,二重性の物語
アニメのバナナフィッシュを見てます.
アニメを見るのは好きなので,とっても楽しみながら見ているのですが
せっかくだから,ごちゃごちゃ考えながら見ています.
あれは,アッシュの二重性の物語なんじゃないかと思うってことでして
父殺しの物語でありながら,大人と子どもの真ん中でどちらにもなることで苦しむという物語なのではないかと思うのです.
ゴルツィネという,自分を抑圧して大人にさせようとする父親を殺すことで
年相応の子どもになりたいと思うアッシュ
だからこそ,年相応に振る舞えるショーターやエイジの前では笑顔を見せれるし,自分に嘘もつける.
でも,彼がしようとしていることは父殺しで,だから父殺しを達成して手に入れられるのは子どもになるという理想ではなく,大人になるという現実なのです.
アッシュに,義理の母親が死んだ時の悲しみと,ショーターを殺した時の苦しみに差があるのは,もちろん自ら手を下したっていう差もあるんだろうけど
彼が故郷を完全に捨てたと思っていたことから考えたら,アッシュの中では実の父や義理の母親ってもう現実の中の部分に過ぎないのであって
理想であったショーターの死とは比べものにならないのではないかと思うのです.
アッシュがエイジの一言一言の美しさに,自分の汚れを見て悲しそう顔をした後に
「お前が正しい」なんて嘘をつけるのは,あれがアッシュの理想だからなんだじゃないかなって
だから,アッシュは戦いの中で,理想が崩されそうになると現実に争うし
理想のために現実を受け入れることだってできてしまうのではないかなって
アッシュの写し鏡であるユエルンが,アッシュと違うのは,気がついてるということだけだと思うんです
ユエルんは,父殺しは大人になることだと知っている.
だから現実を生きるしかないし,大人を利用したり大人に利用されたりできる.
でも,だからこそエイジを許せないし,アッシュに憧れてしまう.
そして,バナナフィッシュがなんでかっこいいのかって
あの薬としての効能だと思うんです
人間に影響して,過去も未来も関係なく「ただ生きているだけ」の存在に変えてしまう.
「剥き出しの生」の無力さに,目の前の権威にすがってしまうし,恐怖を排除するために怯えながら戦ってしまう.
それって,アッシュが最も毒されている心と同じなんじゃないかなって
なんて考えながら見ております.バナナフィッシュ