スズキ日記

くだらない思いつきを書き留めたくて作りました

秋がきて,そして過ぎ去っていく

勉強をしながら音楽を聴く.

私はケルト音楽を演奏する癖に,普段はEDMかテクノばかり聴いている.

今日もApple musicで適当なプレイリストを見つけて作業を進める.

何曲目かに流れてきたのは私の好きなAviciiの「The Days」だった.

もう彼が死んでから一年半も経とうというのに,季節はまわるし音楽は輝いている.

 

 

秋を知っているだろうか.

夏と冬の間の季節.

芸術,運動,音楽,食などなどなど,様々なものを背負い込まされている季節.

紅葉,松茸,焼き芋,涼しさ,夕暮れの美しさなどなどなど,それらの断片が私に秋を知らせる.

でも,私は秋がなんだかよく知らないような気もする.

薄手のコートはすぐに使えなくなるし,コスモスも気がつくと終わってるし,きのこや焼き芋も冬の食材へと変化していく.

期待の割に,よくわからない季節.そんな印象だ.

 

紅葉や美味しいものたちよりも,もっと秋を感じる瞬間がある.

それはやっぱり,夏の終わりだ.

 

夏の終わり.

この間まで暑かったのに,部活終わりに学校から帰る夕暮れはもう寒くて

下り道の自転車が切っていく風は、もう冬の匂いがして

そんなふうに、ちょっとセンチメンタルになる帰り道も

リプトンを水みたいに飲む高校生も

夜と夕暮れの間の空気も

そんな全てが秋の近さを知らせる.

 

冬の気配の,一番外側.

そんな気がする.

 

 

趣味について思うこと

趣味ってありますか?

アンケートとか履歴書とか,自己紹介の時に必ず聞かれる趣味

「読書です」とか「音楽鑑賞です」とか「映画見ることです」とか

無難な趣味をあげてみたり

「漫画描いてます」とか「楽器やってます」とか「スポーツしてます」とか

ちょっと詳しく話したい/聞きたい趣味の人もいると思います

 

こんな私にも趣味があるんですが,最近それの捉え方が変わってきたなと感じてて

これまで私にとって趣味って,誰かとつながるためのものだったんです

 

読書にせよ映画にせよ,スポーツにせよ

誰かと語り合いたいし,終わった後はお酒でも飲んでおしゃべりしたい

そのためにやるのが趣味だったんです

 

でもなんか

最近は,そういうのもういいのかなって

 

趣味をやってて,ちょっと人間関係ができると

その界隈で長くやってる人と情報交換する機械とかができたりすると思うんですけど

そういう時,決まってその人たちは界隈の噂とか悪口ばっかなんですよね

「〇〇さんってどうだから」とかなんとか

 

趣味を辞めてった人も,今思えば人間関係で辞めてた人多いよなって

趣味は好きだけど,人間関係に疲れて辞めてしまう

 

前の私ならきっと,新しい趣味見つけりゃいいかとか思ってたと思うんですが

趣味を続けて好きになるうちに,そうもいかなくなって

なんでもいいから自分が趣味を止めるきっかけになってしまうものから遠ざかるようになってきて

今では一人で趣味をやる仙人の気分で楽しんでおります

 

人って変わるなあ

 

と感じました

老いること,衰えること

老害って言葉が気になります.

元々は,組織にいつまでも居座って権力を握り,世代交代を阻むような人のことを指していたようです.

しかし,ネットの世界での使われ方はもう少し広く,おじいちゃんおばあちゃんの問題行動や,行動者のことを指して使われたりなんかしています.

 

老いについて,サルトルのパートナーだったシモーヌ・ド・ボーヴォワールは『老い』の中で,実存主義的な立場からその姿を描き出しました.

身体,精神,社会

全てにおいて,誰も漏れなく平等に老いてゆくのに

そこには不思議なほどに不公平が生じている.

 

老いは,人間から何を剥奪しているのか

その問いを,老害という言葉は包み込んではくれないのではないかって

 

 

バナナフィッシュを見ながら思ったことは,二重性の物語

アニメのバナナフィッシュを見てます.

アニメを見るのは好きなので,とっても楽しみながら見ているのですが

せっかくだから,ごちゃごちゃ考えながら見ています.

 

あれは,アッシュの二重性の物語なんじゃないかと思うってことでして

父殺しの物語でありながら,大人と子どもの真ん中でどちらにもなることで苦しむという物語なのではないかと思うのです.

 

ゴルツィネという,自分を抑圧して大人にさせようとする父親を殺すことで

年相応の子どもになりたいと思うアッシュ

だからこそ,年相応に振る舞えるショーターやエイジの前では笑顔を見せれるし,自分に嘘もつける.

でも,彼がしようとしていることは父殺しで,だから父殺しを達成して手に入れられるのは子どもになるという理想ではなく,大人になるという現実なのです.

 

アッシュに,義理の母親が死んだ時の悲しみと,ショーターを殺した時の苦しみに差があるのは,もちろん自ら手を下したっていう差もあるんだろうけど

彼が故郷を完全に捨てたと思っていたことから考えたら,アッシュの中では実の父や義理の母親ってもう現実の中の部分に過ぎないのであって

理想であったショーターの死とは比べものにならないのではないかと思うのです.

 

アッシュがエイジの一言一言の美しさに,自分の汚れを見て悲しそう顔をした後に

「お前が正しい」なんて嘘をつけるのは,あれがアッシュの理想だからなんだじゃないかなって

だから,アッシュは戦いの中で,理想が崩されそうになると現実に争うし

理想のために現実を受け入れることだってできてしまうのではないかなって

 

アッシュの写し鏡であるユエルンが,アッシュと違うのは,気がついてるということだけだと思うんです

ユエルんは,父殺しは大人になることだと知っている.

だから現実を生きるしかないし,大人を利用したり大人に利用されたりできる.

でも,だからこそエイジを許せないし,アッシュに憧れてしまう.

 

そして,バナナフィッシュがなんでかっこいいのかって

あの薬としての効能だと思うんです

 

人間に影響して,過去も未来も関係なく「ただ生きているだけ」の存在に変えてしまう.

「剥き出しの生」の無力さに,目の前の権威にすがってしまうし,恐怖を排除するために怯えながら戦ってしまう.

 

それって,アッシュが最も毒されている心と同じなんじゃないかなって

 

なんて考えながら見ております.バナナフィッシュ

 

老いることってなんだ

うちの父親はもう60歳になる

立教で学び,二回転職して,いまも仕事を続けている

 

息子の目から見ても,父親は頑張っている方だと思う

酒もタバコもせず,好きなことはたまに外食で美味しいものを食べること

パソコンもExcelとWordくらいなら使えるし,子供を大学まで通わせた

 

いい父親だと思う

でも,少しだけ残念なことがあった

 

最近父親と会話をすると,どうもネトウヨっぽいことを言ったりするのだ

父親はもともと保守的な考えを持っているが

本はよく読むし,テレビや新聞も読むし,仕事柄ぼくくらいの年齢の若者とも会話するはずだ

 

そんな父親が,嫌韓や嫌中発言をしたのだった

茶の間の何気ない会話とはいえ,根拠のないそういう発言にぼくはがっかりした

 

そんな時にふと思い出したのは,母方の祖父の顔だった

一時期母親の実家で生活していたぼくにとって,祖父は理想の大人の一人だった

 

戦後間もない時期に法学で学位をとっていた祖父は,長い間教師として過ごした

そんなせいか,祖父の書斎には古典の名著がずらりと並んでいた

 

ソクラテスパスカルなんかの西洋哲学や,孔子王陽明のような東洋思想

トーマスマンやダンテ,ウェーバー社会学世阿弥風姿花伝なんかもあったと思う

当時はよくわからなかったけど,こっそり開くと読んだ後が残っていたことを覚えている

 

ぼくが生まれてであったのは,もう人生の締めくくりに入った時期の祖父だったから

壮年期の勢いやすごさはないのだろうけれど,とても柔軟にものを考えることを教えてくれた

祖父の生きた時代特有の習慣や思想はあったのかもしれないけれど

朝から自分で入れたコーヒーを美味しそうに飲んで,新聞を読んだり,ピアノをひいたり

そんな姿がどこかかっこ良く感じた

 

あるとき,祖父とニュースを見ていた時,性的マイノリティの特集をしていた

祖父は,そのニュースで取り上げられることを見て

「大多数の見え方で世の中を考えるのは,暴力とおんなじだ」と言った

 

今でこそだけど,きっと祖父は戦争の体験を思い出しながら

自分の後の世代に何を残すべきかを考えていたんじゃないかと思う

 

今でも,コーヒーを飲みながら祖父を思い出すと

胸が苦しくなる

プーと大人になった僕 を観ました

大人になったクリストファーロビンと,くまのプーさんの物語

 

寄宿舎に入って父親を亡くし,プーを忘れていたクリストファーロビンは

娘がかつての自分と同い年になり,再びプーと出会う

 

あれって,プーは「待つことをする」って言ってるけど

出会えたきっかけはプーが 待たなかったから なんですよね

クリストファーロビンが戦争に行っているときも,プーは森の中を探していたし

実は,待っていたのはクリストファーロビンの方なんじゃないかって

 

もちろんストーリーの流れとして

ロビンに再び会う→ロビンと別れる→ロビンがプーを探し出す

って流れはプーがシンデレラなんですが,

でもちょっと広い視点でみると,プーによる救いや変化の時を待っていたのはクリストファーロビンの方

 

人に使われる人間になってしまったロビンを,「家族のために」という呪詛から解放して

本当に家族の元に返していく,帰れるように気がつかせる

それが,クリストファーロビンがしていた待つということなんじゃないかっていう

 

そんなことを思いました

 

そう考えると,ヒロインはクリストファーロビンで,ガラスの靴はロビンの娘だったりして

 

 

深夜テンションで書いた小説

ホテルのエレベーターはティープレスのようだった。

熱いお湯を注がれて、舞い上がっていた私をゆっくりと抑えてゆく。うまみも、香りも、苦味も、渋みもなくなって、出がらしになった私はまた、母としての振る舞いに戻る。

 


エレベーターを降りて駅へと向かう。

その道すがら、さっきまでの彼とのことを思い出す。いつからだろうか、彼とこんな関係になったのは。

大学の後輩だった彼は、いつも困った顔をしていた。子供っぽくて嫌味も言うが、それでいてどこか放っておけなかった。

彼が私を頼る時の

「先輩、だめですか?」と言う言葉は、もはや口癖のようだった。そんな彼の甘えてくるところが、情けなくも、可愛くもあった。

 


卒業からしばらくして、彼から泣き言のような連絡があったのは冬のことだっただろうか。お互い社会人としての振る舞いを覚えてしばらく経った頃、会って話を聞いて欲しいと伝えられた。

仕事帰りの姿で最寄り駅まで来た彼は、いつもの困った顔をしていた。

てっきり仕事での失敗の話や会社で言えない愚痴かと思いきや、彼の口から出てきたのは失恋話だった。やっとの思いで付き合えた女の子と、クリスマスを前にして別れてしまったのだと言う。

そんな話なら私でなくともいいだろうと、興味ないそぶりで帰ろうとした。すると彼は、だめですか? と俯いたのだった。その姿が、なんだか放っておけなかった。

私を頼ってくる彼は、私を学生気分に戻させたのだろうか。

 


せっかく久しぶりに会ったのだし、仕方ないか、なんて言いながら、彼に食事をご馳走することにしたのは、私も腹ペコだったからだ。

普段は行かないような、少しだけ贅沢なホテルのディナーを食べながら、彼の話に耳を傾けた。

共通の趣味で知り合った1つ上の女の子と知り合ったこと。趣味を口実にデートを重ねたこと。クリスマスも近いこの時期にプロポーズをしたものの、大切な趣味の友人でいたいと言われたこと。それからしばらく、音信不通であること。寂しさで、とにかく誰かに話を聞いてもらいたかったこと。

意外にも年上に手を出そうとしていたことや、趣味を続けていたこと、少しだけ大人びた彼の姿などで私の関心は逸れていたが、大まかにはそんな話だった。

あの時から変わったようで、彼のままでいた彼は、やっぱり可愛いままだった。

 


最後に会った時より、少しだけ男らしくなった彼が、情けなくも甘えてくる姿に心を許してしまったのかもしれない。

彼の話に付き合う内に、帰りの電車を逃してしまった私は、自分で思うより酔っていた。

しかし、それ以上に酔いつぶれている彼を抱えて、休もうと部屋を取ったのだ。

 


部屋の窓から見下ろした夜は、ゼリーで閉じ込めたように輝いていた。

丸くなっている彼の手を取ったのは、私からだったと思う。

それでも、傾きつつ揺らぐ私に

「だめですか?」と甘えてきたのは彼だった。

寂しさを抱えた彼を、甘やかしたいと思った。

 


でも、ずっと彼の言葉に甘えていたのは、私の方だ。

 

 

 

駅に向かう道に寄ったデパ地下で、カニクリームコロッケを買う。

こうして息子の好物を買ってしまうのは、罪悪感なのだろうか。自分でもわからない。

全てがズルズルと、習慣のようになってしまっていた。

仕事と言って家を出ることも、約束の時間より少しだけ早く着いてドラッグストアに寄ることも、夕飯までに帰ると言って彼を部屋に残していくことも、こうしてコロッケを買うことも。

 


温め直したコロッケをおかずに、食事の用意をする。

おいしいね、と食べる息子は旦那の連れ子だ。もう中学生になる彼は、難しい時期だが私に懐いてくれる。そんな息子のことが、私も好きだった。

 


忘れないうちにと、洗濯カゴに放られた部活のユニフォームを手に取った。汗をかいた後の服は早めに洗ってしまわねばならない。汚れが落ちにくくなってしまうから。

洗濯機を回す前の、洗剤を入れる一瞬に嗅いだ汗の匂いに、昼下がりのことを思い出す。

いけないとは知っている。はやくしなければ、落ちない汚れになるかもしれない。

それでも、彼の言葉に甘えてしまう私を、私は嫌いになれずにいた。